「子供時代はデブ!といじめられた」筋骨隆々「女装パフォーマー」の原点

女装パフォーマー・レディビアードさん(撮影・萩原美寛)
女装パフォーマー・レディビアードさん(撮影・萩原美寛)

青い瞳、筋骨隆々の体、アゴひげ。なのに、ツインテールにスカート。これが女装パフォーマー、レディビアードさんの容姿です。活動内容はアイドル、プロレスラー、DJ、YouTuber、タレント、スタントマン、俳優、声優…と多彩です。

オーストラリア出身ですが、語学が堪能で、英語や広東語、日本語など数カ国語を話すことができます。また、テコンドーをはじめ、ムエタイやジークンドーなど、複数の格闘技を経験しています。

しかし、子供のころは太っていて、周りの友達からいじめられる毎日を送っていました。いじめられっ子が強くなってヒーローになる映画に憧れたという少年は、いかにして、現在の「レディビアード」となったのでしょうか。

DANROの連載企画「ひとりぼっちの君へ」。自称「永遠の5歳児」というレディビアードさんに半生を振り返ってもらいながら、かつての自分のように孤独を感じている人に向けて、メッセージを語ってもらいました。

「弱点はとても多い。神様がくれた才能はひとつだけ」

ーー今の姿や活動を、小さなころに想像したことがありますか?

レディビアード(以下、ビア):「ノー」ですね(笑) でも、タイムマシーンで10年前の自分に「あなたは10年後、日本にいて、女装パフォーマーとして、プロレスをしたりヘビメタシンガーをやったりしているよ」って伝えたとしたら、たぶん信じるでしょうね。「OK! ザッツOK!」って。

ーー「やりたかったことができている」ということですか?

ビア:自分の長所と弱点を知っているんです。だから昔の自分も、今の姿に納得できると思います。

ーーいくつもの格闘技を身につけ、複数の言語を話せるレディビアードさんに「弱点」はあるのですか?

ビア:弱点はとても多いです。ビアちゃんは、生まれ持った才能が少ない。たしかにスキルはありますが、それらはいっぱい練習して得たもの。神様がくれた才能は、ひとつ。あふれだすエナジー、これだけです。

腕を組むレディビアードさん

ーーたしかにレディビアードさんは、いつも元気なイメージがありますね。

ビア:はい。盛り上げる力はあります。でも、それだけでは仕事を得られません。何か別の仕事があってはじめて、盛り上げることが役立つ。だから私はまず、テクニックやスキルを、練習とかトレーニングで手に入れたんです。

12年間、毎日格闘技のトレーニングをしました。でも私の10年を、たった1年で追い抜く才能を持つ人もいます。自分のエナジーをどう使えば、そんな人たちと対等になれるのか。そういうことをずっと考えてきました。

ーーこれまでの半生で、最も「輝けた」と思う瞬間はいつですか?

ビア:ひとつは、香港で暮らしていたときのことです。私は、俳優やスタントマンの仕事を探すため、2006年、生まれ育ったオーストラリアを出て、香港に行きました。オーストラリアは英語の国です。映画やテレビ番組をほとんど制作せず、ハリウッドとかイギリスから買い付ける。だから、俳優になりたいと思っても、オーストラリアでは仕事が少ないんです。

香港は、最初の1週間は楽しかったんです。ところがある日、急に寂しくなった。帰りたくなった。地元の友達や家族に相談をしたら、「この寂しさを乗り超えて」と励まされました。「どうしてもダメだったら、帰ってくればいいのだから」と。

それから6カ月ぐらい経って、ようやくすべてを楽しめるようになりました。俳優と声優、スタントマンの仕事で食べていけていることに気づいたんです。他のパフォーマーの多くは、パフォーマンスだけでは食べていけず、アルバイトをしていましたから。「私はプロになれたんだ!」と誇らしい気持ちでした。

インタビューに答えるレディビアードさん

いじめられた子供時代『ベスト・キッド』がロマンチックに思えた

ーー香港に渡って半年後には、順調になったんですね。

ビア:しかし、2008年のリーマンショックで、すべての仕事がなくなりました。プロのパフォーマーになれたと思った瞬間、「いや、まだだよ」って言われたみたいに。

ーーそのころはまだ「レディビアード」ではなかったのですか?

ビア:レディビアードとしての活動は、その後に始まりました。作り上げたものがすべてなくなったので、ゼロから始めました。女装パフォーマーで、プロレスラーで、ヘヴィメタシンガー。しかも言葉が通じない国で成功しようとするのは、とても難しい。ずっと、自分のことを信じなければなりませんでした。「自分を信じて!」「成功できる!」って。

だから、2013年に日本にやって来て、2014年に私のことがツイッターで一気に広まったとき、本当によかったと思いました。「大丈夫!」って言葉が出ました。これが私にとって、2つめの「輝いた」瞬間でしたね。

ーーでは、逆につらかった時期というのは、いつですか?

ビア:子供のころです。ビアちゃんは「永遠の5歳児」ですが(笑)、生まれてから13歳まではずっと太っていました。毎日いじめられました。友達は私を指して「デブ!」って。今でもフィットネスと健康が自分にとって重要なものとなっているのは、そのときの影響でしょう。あの経験がなかったら、今の自分はありません。だから私は今、あの時代を認めます。

ーーそのころは、どのようにして過ごしていたのですか?

ビア:TVゲームが好きでした。6歳から(格闘ゲームの)『ストリートファイター』をしていました。あとは『モータルコンバット』(残虐表現のある格闘ゲーム)。大人っぽくて、とてもカッコよかった。

ーー格闘技を始めたのも、ゲームの影響でしょうか。

ビア:ゲームと映画です。『ベスト・キッド』(1984年の映画)では、主人公の男の子が引っ越した先でいじめられて、先生のもとでトレーニングして強くなる。私にとってすごくロマンチックなストーリーに思えました。私もいじめられていたので、自分を守るために、13歳のとき、テコンドーを習い始めたんです。

レディビアードさん

「いつかやりたいことをやろう」と思っても「いつか」は来ない

ーー今、落ち込むときはありますか?

ビア:あります。やりたかったことが、実現できなかったときです。何かをやるとき、私は最後に到達するゴールのイメージを作ります。でも、結果が出なかったとする。そういうとき「はあ……」となります。ときどき、考えていたことと違う結果でも、それはそれで素晴らしいという場合があります。しかし自分が定めたゴールを目指すのであれば、異なる結果が出たとき、本来のゴールに近づくためには、どうすべきか考えなければなりません。

ーー考え方がビジネスマンに近いかもしれません。

ビア:そうですね。自分のゴールを目指す人、たとえばアスリートとかアーティスト、経営者はそういう風に考えるべきだと思います。さっきも言ったように、私には才能がないので、毎日ちょっとだけ頑張るんです。毎日10分頑張れば、1週間で1時間、1年で50時間の勉強量が増えますから。

ーー自分に厳しいんですね。

ビア:超厳しいと思います(笑) でも長い時間をかけてやっていると、厳しいという感覚はなくなります。すべて自分のためですから。結果がほしいので、今日つらいことをしなければならない。それは私自身が選択しているものです。

鏡越しにこちらを見るレディビアードさん

ーー具体的にどんな「ルール」を自分に課していますか?

ビア:ルールではないですが、自分に厳しくするのとは別に、仕事は自分のためではなく、周りの皆さん、お客さんのためにやるということを心がけています。どうすればお客さんに「価値」をプレゼントできるか。そのことを忘れないようにしています。

ーーなるほど。

ビア:それと、実はビアちゃんの家の壁には、5つの言葉が貼ってあるんです。それぞれの頭文字をとると「DHARF」です。Dはdiscipline(規律)、Hはhumility(謙虚)、Aはappreciation(真価を認めること)、Rはすっごく大事で、Remember the alternative(別の人生を頭に描け) 。今の人生が大変で、仕事を辞めたくなったとき、仮に辞めたとして、では何をするのか。今の人生がないなら、どんな人生が有り得るかを考えることです。そしてFは、future orientation(未来の方向性)です。これらの言葉を、毎日忘れないようにしています。

ーーレディビアードさんのように、自分に厳しく、前向きに生きることは、とても難しいことだと思います。そんな風に生きられない人に、かけてあげる言葉があれば、教えてください。

ビア:まず、生きることをやめないで。自殺しないで。それが一番大事です。あとは自分が望む人生を行けばいいんです。ただ、その人生は自分で作っていかなければなりません。今がパーフェクトな人生じゃなくても、自分の人生は自分で変えられます。望む人生はどんなものか、細かいところまで考えてください。そして、どうすればそこにたどり着けるかを考える。そこまでわかったら、あとは頑張るだけです。

ビアちゃんがよく考えるのは、誰も傷つけないのであれば、自分のやりたいようにやったほうがいいということ。親や周りの人の言葉は、「彼ら」が考えるベストの人生です。周りの人たちは大事にしてください。でも、自分の人生であることに気づいてください。人生は1回だけで、いつか終わってしまう。多くの人は「いつかやりたいことをやろう」と考えています。でも「いつか」は来ません。今、自分が動けていないのであれば。

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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