「その日の気分ですることを決める」 有名ブロガーphaの生き方
「ニートでも幸せに生きることはできる」。お金がなくても無理なく、楽しく暮らすための生き方と考え方をつづった『ニートの歩き方』(技術評論社)。2012年に発売され、いまなお多くの人に読まれている本です。著者の生き方に共感した読者からは、「ホッとした」「安心した」などの感想が寄せられ、ニートのバイブルになっています。
この本を書いたのは、ブロガーのpha(ファ)さん(39)。西の名門・京都大学を卒業後、大阪で大学職員になりますが、3年で退職。その後10年以上、定職には就かず、シェアハウスの運営や書籍の執筆などをして暮らしてきました。そんなphaさんの生き方に共感する人が多いのはなぜなのか。その実像に迫ります。
自由気ままに暮らすことの魅力
phaさんの朝は早いです。毎日7時に起きて朝ご飯を食べます。しかし、9時ごろに二度寝して、また昼ごろに起きるという生活を続けています。
「いまは特にやりたいこともなく、だらだらと毎日過ごしています。たまに仕事をしますが、そのときは、喫茶店に行って原稿を書いていますね」
収入源は「原稿を書くこと」。本を書いたり、WEBマガジンで連載を持ったりするほか、文章や写真などを投稿できるプラットフォーム「note」で有料記事を書いて収入を得ています。
「noteでは、月500円で読んでくれる人が170人くらいいて、手数料を引いて月6、7万円になります。自由に自分のペースで書けるので、コラムを連載するよりも自分に合っています」
スケジュール帳は「スカスカ」だというphaさん。予定が決まっていないので、その日の気分で行動します。「きょうは暇だから電車で遠くに行こうとか、散歩した後に図書館で本を借りようとか、自由気ままに暮らしています」
多種多様な人々が生活する「ギークハウス」
phaさんといえば、行き場のない人たちを集めたシェアハウスで有名です。大学職員を辞めた後、インターネットで知り合った人たちと共同生活を始め、南町田や東日本橋など都内数カ所でシェアハウスを運営してきました。つけた名前は「ギークハウス」。「趣味や話題が合うギーク(コンピューターやインターネットに詳しい人)が集まって、共同生活をしたら楽しいんじゃないか」という思いで名付けました。
これまでいろいろな人と生活をしたといいます。
「時には街で見かけたホームレスの青年を拾ってきて、住まわせたこともあります。いつも手首を切っている人もいました。しょっちゅう救急車が来ているなんてこともありました」
それでもphaさんの生き方に共感し、気が合う人なら受け入れてきました。
いまは、シェアハウスの運営はしていませんが、ギークとの共同生活は続けています。玄関には所狭しと並べられた靴。中には女性物の靴もありました。
「MtF(身体は男性だが性自認は女性)の人も暮らしています。最初は男性の格好をしていたんですけど、あるときから女性の服装になったんです」
服装に変化があったことについては、特に触れないといいます。「他人の性的事情についてはあまり話さないですね。ネットやアニメの話ばかりしています」
phaさんは、住民との適度な距離感が大切だと考えています。会話は1日5~10分程度。「誰かとしゃべりたくなったらいつでもしゃべれるし、飽きたら部屋に戻って一人でこもればいいんです」。こうしたphaさんの距離感や多様性を認める包容力が多くのギークを魅了しているのかもしれません。
「ギークハウス」の原点は大学時代の経験
ギークハウスの原点は大学時代の学生寮にあるといいます。
「高校時代は友達を作ることが苦手で、勉強ばかりしていました。実家も居心地が悪く、まさに暗黒時代でしたが、大学進学と同時に寮生活を始め、友達を作れるようになりました。寮には遊び相手がいっぱいいて、楽しかったです。そのころ、自分の基礎が作られた感じがします」
大学の卒業が間近に迫ると、「働きたくない」という理由で2年間休学。寮でだらだらと過ごしました。その間、就職活動もしましたが、労働意欲がなく、「働きたい」と言うのが苦手でした。そのため、なかなか上手くいかず、なんとか決まったのが大学職員でした。
しかし、社会人としての生活は肌に合わなかったといいます。「毎日電車に乗って会社に行くのがとにかくつらかったです。仲のいい人もあまりいなかったので、孤立感を抱いていました」
大学職員の3年目に、タイの事務所に派遣されたphaさん。そこで仕事を辞める決断をします。「タイの人は働かずのんびりしている人が多くて、全体的にいい加減な印象でした。それでいいんだなと思うようになりましたね」
日本に戻ると、辞表を提出。しばらくはTwitterで知り合った人たちと会うことを繰り返しました。そして、「人が集まる場所を作りたい」と思い立ち、シェアハウスの運営を始めました。
「ひとりでいてもつまらないと思いましたね。家に帰っても誰もいない。学生寮のときみたいに、家に戻ると誰かが適当に遊んでいる。そんな雰囲気が好きだったんです」
phaさんが考える理想の集団
そんな暮らしが好きなphaさんですが、共同生活の形として、結婚という枠組みにとらわれる必要はないと主張します。
「結婚は小さいユニットを誰かと作ることだと思いますが、僕には難しそうです。そもそも家族はシェアハウスの一種に過ぎないと思います。一緒に住む相手は血縁じゃなくてもいいし、恋愛関係じゃなくてもいい。いろんな暮らし方があってもいいはずだと思います。そういう価値観が広がれば、結婚がうまくいかなかった人も誰かと助け合って共同生活することができると思うんです」
phaさんは、理想の集団について、日本のインディーズバンド「Maher Shalal Hash Baz (マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)」を例にあげ、次のように話しました。
「よくわからないけど人がいっぱいいて、素人が混ざっていても、途中で変な人が乱入してきても、犬がステージに迷い込んできても、それも含めて『マヘル』になる。すごくゆるいけど、強い包容力というか世界観がある。そんな感じの集団が理想なんです」
「40歳になったら動き出す」
今後の展望については、「やりたいことが何もない」と話すphaさん。「いま人生に迷っているというか、とにかくやる気が出なくて。そういうときは、ゴロゴロして何か思いつくのを待ちます」
年末に40歳を迎えるphaさんは、誕生日までゆっくりするといいます。「今年いっぱいは休みます。12月31日が誕生日で、ちょうど40歳になるんです。そうしたら動き出そうかな。30代は今年で最後なので、それまではふらふらします」